ウェイクフィールドの戦い 緒戦

この戦いについては、年表をご確認下さい。
ブリタニア北端部を固めたローザ軍が、占領軍に対して反撃を開始する、最初の決戦となる大会戦です。
双方とも万単位の軍が動いていますが、アルヴァレスが率いているのは、ブリタニア全軍の左翼、東方面の部隊です。
この挿話は、激闘数刻後、戦もたけなわとなった状況からスタートします。

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 ――稜線から身を躍らせた真紅の騎士は、燦然と翻る帝国旒旗の在処を確認するや、微塵の迷いもなく一直線に、帝国の大軍へ向けて馬を奔らせた。
 彼の遙か後方には、夥しい騎士の一団が、土煙をあげて追ってきているようだが、真紅の騎士は、それすらも待たず、ひた駆けに駆けた。
 ただの一騎──!
 フランドル聖騎士も、ブリタニアの薔薇騎士も、そのあまりに唐突な光景に、我が目を疑った。
 哀れ、戦場の狂気に魅入られたか。否、端から約定でもあったか。
 遠目には芥子粒ほどにしか見えぬ小さな隻影は、後続もなく、僚騎もなく、文字通りただの単騎で、黒々と密集する大軍へと吸い込まれていった。
 
 そして、この戦場に集った諸侯ならびに旗騎士、騎士、そしてすべての兵科の兵士、荷駄番、つまり歴史に選ばれてこの地に立つあらゆる人々は、このときに一千年の伝説を目撃することになったのである。
 此は、現か幻か──。
 最初に突入した、ただ一人の騎士の突撃によって、まるで雷撃が生木を両断するように、重装の歩兵軍団がまっぷたつに割かれてゆく。

 ──どッどッ
 と、鈍い音が立て続けに響くたび、人の腕が、首が、胴が、血煙とともに空中へ巻き上げられ、バラバラと落下してゆく。

「──あれは、本当に人か」

 数百歩を隔てた、ブリタニア王国軍の左翼。
 全軍の軍師アルヴァレスは、茫然と呟いた。彼の姿は、展望の利く丘陵にある。剣を帯びず、甲冑を纏わず、白い戦袍に鯨鞭を携えるだけの軽装である。
 茫然たる容子なのは彼ばかりではない。彼に扈従する騎士たちも、戦局を忘れ、それ●●をただ見つめていた。
 
 ただの一騎──!
 その隻影は、ひしめき合う大軍の中へ馬を入れてなお、いささかも勢いを変えず、まさに言葉通りの鎧袖一触。無人の野を駆けるよりも容易く、前へ前へと突進を続けるのである。
 剛勇の誉れ高い聖騎士の幾人か、旗幟を掲げ、名乗りを上げて立ち塞がったが、一合と槍を交えるまもなく、拉げた甲冑ごと馬上から叩き落とされてゆく。

ふせげっ! 阻げっ!)

 口々に喚き合いながらも、フランドル人どもは、近き者はただ逃げ惑い、遠き者は小手をかざしてあれよ彼よ騒ぐしかない。
 その間に騎士は、満座が開けた口をふさぐまもなく、帝国軍の中枢へ辿りついてしまった。
 そして逃げまどう将軍たちを無視し、彼が無造作に手槍を一閃させると、百戦無敗を象徴し続けた誇り高き神聖帝国の旒旗は、棹の根本から伐り倒されたのである。
 
 
 その、神話か何かの一幕のような、ひどく非現実的な光景を目の当たりにしたアルヴァレスは、全軍へ下知するという我が任をわすれて、他の騎士どもと等しく、ただ突っ立っていただけであった。

「人が出来ることなのか、あれ●●は。人に赦された事なのか。あれは本当に人なのか」

 多分に宗教的な畏れを覚えかけた彼を、戦場へ引き戻したのは、無邪気な少女の騒がしい歓声だった。

「見たか!ベルガ人!あれがパーシファル卿だ! 全ての薔薇の師表、我らブリタニアの誇りだ!」

 騎士見習いは、昂奮のあまり自分で立てた誓いも忘れたと見え、ベルガ人の腕を取って抱きしめて振り回し、我が事を誇るよりもさらに騒々しく、パーシファル卿の方を指さしてはしゃぎまわった。
 少女に振り回されながら、ようやく、アルヴァレスは事を悟った。

「ああ、あれが雷槍の騎士パーシファル卿であるのか」と。
 
 
 旌旗を伐り倒すだけ倒し、そのまま帝国軍の反対側へ突き抜けていってしまった緋色の騎士、ブリタニア王国第四騎士団パーシファル卿を追う形で、次々と人馬の群れが稜線から姿を現した。
 角笛ホルンが鳴り響くなか、彼らもまた一直線に帝国軍の裂け目をふたたび突き崩した。その頭上に翻る旗幟バナーには、それが第四騎士団のものである証が大きく刺繍されていた。――即ち、大輪の薔薇と、雷を象ったパーシファル卿の手槍である。
 帝国軍は、側部からの思わぬ急襲をうけて、一の備え破れ、二の備えも破れ、全軍に動揺が広がってゆくようである。

 それに呼応するように、ブリタニア本陣からも、見事な隊列を保ったまま、薔薇の騎士達が突撃を再開した。
 軍師アルヴァレスが、戦機を逃さず、全戦線に対して、一斉に攻撃命令を下したのである。
 神聖フランドル帝国軍は、大いに浮き足立ち、邀撃の備えが遅れた。効果的に長弓兵へ号令をかける者がおらず、歩兵は穂先を揃える前に後退を始めた。

 この日の戦闘で、初日の優勢をあっさり失った帝国軍第二陣は、ウェイクフィールドの南郊まで右翼を後退させ、全軍の陣形を大きく崩す結果となったのである。
 逆に、第四騎士団との合流を果たしたローザ軍は、士気騰がるばかりか、さらに四里ばかり前進して、東西の国道を抑えることに成功した。
 マーシアの趨勢を占う一戦を控えて、まずは幸先よい緒戦となったと云うべきであった。 
 
 ――但し、諸軍記が伝えるように、それだけで話が終わらなかったのは事実である。
 この日のうちに、ベルガの客将アルヴァレス卿と、雷槍の騎士パーシファル卿は、場所もあろうに女王ローザの眼前で白刃を交えるという騒動を起こし、これが後に深刻な事態を招く事になるのである。
 
                                          (「ブリタニア列王紀」628年の項より)